馬車が始まり?長町と秋保温泉を結んだ秋保電鉄の歴史

長町と秋保温泉を結んでいた秋保電鉄

秋保温泉へ至る鉄道

現在、仙台の中心部から秋保温泉に至るまでには、国道286号線(ニーパーロク)を車で西におよそ約40分ほどかけて行く必要があります。

また、仙台南I.Cから車や市営バスでの利用も可能ですが、いずれも時間がかかってしまうため、旅館によっては仙台駅などから無料の送迎バスを出しているところもあります。

しかし、かつては、秋保温泉へのアクセスとして、太白区の長町から秋保温泉までを結ぶ秋保電鉄という路線が営業していました。

今回の記事では、今は無きこの秋保電鉄(秋保電気鉄道)について取り上げたいと思います。

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秋保電鉄の歴史について。始まりは馬車?

秋保電鉄は馬車から始まった

秋保電鉄は、1914年に旅客と貨物の輸送を目的に開業しました。

路線図としては、初期は長町から富沢・太白山・茂庭を経由して湯元まで至るというものでしたが、最終的には長町から西多賀・太白山・茂庭を経由して秋保温泉に至るルートとなりました。

旅客の利用者は主に秋保温泉の利用者でしたが、貨物は秋保温泉付近で採掘された秋保石を運ぶ目的がありました。

※余談ですが、秋保石は学名を「含有孔虫浮石質角礫凝灰岩」と言い、軽量で耐久性、耐火性に優れるなど数多くの利点を持った凝灰岩の一種です。

ところで、この秋保電鉄、開業当時はなんと馬車での運行を行っており、長町-秋保間の所要時間は約2時間でした。
馬の調子によって速度が変わるため、時間に幅があったようで、1925年には馬車から電車に置き換わり、所要時間は約2時間から半分の約1時間に短縮されました。

また、この秋保電鉄は計画上では秋保温泉から山形県まで延長がされる予定でしたが、実現されることはありませんでした。

しかし、後に愛子・作並を通り、面白山を超えて山形をつなぐ国鉄(現在のJR)の仙山線が開業したことで似たような経路の路線が実現したことになります。(→落ち葉や雪ですぐ停まる..仙山線が遅延・運休しやすい理由)

秋保電鉄は、戦後には温泉の利用者のみならず、沿線の通勤客の利用が多くなり、通勤電車としての役割を担っていました。

しかし、路線バスの利用者が増え、その客足に取られてしまったため、経営が悪化し赤字が続き、やがて、設備が近代化されることなく、1961年に廃止されてしまいました。

秋保電鉄の車両について

秋保電鉄の車両についてですが、電動客車の車両の形式にはすべて「マハ」と名乗っていました。

通常の電動車には「モハ」や私鉄に多い「デハ」と表記することがほとんどなのですが、このマハは全国的に見ても珍しく唯一の表記だったようですが、1951年にモハに表記が変わってしまい、なぜ「マハ」と表記されたのかは現在でも不明のままです。

ところで、終点の秋保温泉駅には長崎で走っていた路面電車が展示されています。

なぜ長崎で走っていた電車が展示されているかというと、この路面電車は長崎の前に1976年に廃止された仙台市交通局の仙台市電の電車が長崎電気軌道に譲渡されたものだったため、かつて仙台を走っていた車両ということで展示をしているそうです。(→開業から90年、仙台市電が街に残した面影)

ちなみに、秋保電鉄は仙台市電と直通運転する予定もあり、仙台市電に買収される計画もあったのですが市議会での買収反対によって無くなりました。

市内に今なお残る、秋保電鉄の名残り

秋保電鉄記念碑

さて、秋保電鉄の始発駅だった長町駅の跡は、現在はマンション複合施設たいはっくるとなっており、上の写真のように、施設の片隅に長町駅跡を示す記念碑が存在するだけとなっています。。

廃線跡は軌道が無くなっていて面影という面でもほとんど無くなっていますが、途中の旗立から太白山までは宮城交通のバス専用道路として活用されており、路線の太白トンネルも今でも残っています。

時代の流れで面影の多くが無くなってしまったとう点では、仙台鉄道と同じなのかもしれません。(→今は無き仙台鉄道、その路線図や歴史を訪ねる)

なお、終点駅である秋保温泉駅舎はなんと民家として残っていて、開業する目的の一つであった秋保石の採掘場も残っています。

よって、駅舎や採掘場、軌道跡から秋保電鉄の歴史が、全てではありませんが、今でも触れることができます。

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