東日本大震災体験談その2 コンビニの行列と電気の無い夜

東日本大震災の体験談2 自宅の被災状況と片付け

管理人自身が体験した東日本大震災の体験談、その2です。(前回:その1 仙台のビルで体験した大地震 3.11昼)

今回は自宅の被災状況と食糧の買い出し、そして3.11の夜の話です。

自宅の被害状況

当時、私が暮らしていた家(実家)は、昭和の頃に建てられた少し古い家でした。そのため、家に着くまでは倒壊していないかと心配でしたが、実際に家に着いてみると特に家に目立った損傷は無い状態でした。

一緒に住んでいた家族は、父、母、祖母、そして大学生の弟と妹の5人。

このうち、外回りの最中に地震に遭遇しその後自宅に戻っていた父と、パートと大学がそれぞれ休みだった母と弟、そして祖母が自宅にいましたが全員無事でした。(妹は大学に居てこの日は帰ってこれませんでしたが、翌日無事帰宅しました。)

肝心の家はというと、中の内壁が少し崩れたり食器が割れたりしていましたが、住み続けるのには特に問題のない状態に見えました。

砂利やガラスなどを踏まないようにスリッパで簡単に台所や居間、自分の部屋などを掃除。

電気はもちろん通電していなかったのでホウキで軒先などに掃き出すだけしかできませんでした。

なお、ガスと電気は止まっていましたが、とても幸運なことに水道だけは生きており、飲み水には困らずトイレも問題なく流すことが出来るという状態でした。

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コンビニは長蛇の列

とりあえず最低限の家の片付け始めて少し経った16:00頃、ふと食糧の心配が頭をもたげました。

このとき家にあった食料は、野菜や米・冷凍食品などの調理やレンジで温めができないとまともに食べれないものが殆どでした。

このため、家の片付けを家族に任せ、私は食料を求めて近くのコンビニに買い出しに出かけました。

コンビニへの買い出し

エコバックと財布を片手に一番近くのコンビニまで走っていくと、そこは予想はしていましたが長蛇の列が出来ていました。

しかし、空いていることがそもそもラッキーなので、我慢して後ろに並びとりあえず家族の分の食料を買い込みます。

お店では、店員さんは会計に手一杯だったため、購入制限などをする余裕は無く、あるもの全て購入できるような状態でしたが、並んでいる人が皆、自分だけ大量に買い漁るということはせずに、列に並びつつ必要分だけ購入していたように見えました。(まあ、中にはもっと買いたいから恵んでくれと言い回っている人も居ましたが)

なお、コンビニの列に並んでいた頃から雪が降り始め、一段と寒さが増してきました。

電卓

店側はレジは使えないため、店員さんとオーナーらしき方がそれぞれ電卓とメモ用紙を使って手計算で代金を計算、ちゃんとお釣りも払っていました。

ただし、このような事態のため、お釣りは要らないとお札だけ渡す人も多く居たように見えました。

私もとりあえずは、家にある分と合わせてこの日の夜と翌日の朝食・昼食分程度のパンやおにぎり、お菓子類を購入できました。

お札は持っていた方が良い

しかし、この時思ったのは紙のお金を持っていて良かったな、ということです。

電気が無い状態では電子マネーやカードでの支払いが出来ないため、いざという時に食料を購入することはできません。

そのため、普段からある程度の紙のお金(お札やコイン)を財布に入れておくことを強くお勧めします。

目を覆いたくなるYahooのトップページ

とりあえずの食料が確保できた私が家に帰宅したのは17:00頃。そろそろ辺りは薄暗くなってきており、家の片付けはほぼ済んでいました。

ここで完全に暗くなる前に布団を敷いておき、コンタクトレンズを外すなど、明かりが必須な作業をやり終えておきます。

石油ストーブで暖を取る

その後、父は車で会社に向かい、残った家族は全員居間に集まって夕食を摂りました。

私の家の居間には石油ストーブがあり、コタツやエアコンが使えないこの時は、それだけが暖を取れる唯一の存在でした。

部屋は石油ストーブの明かり、あとは懐中電灯の光だけ。各自の携帯は電話もネットも、混雑しているのか全く繋がらない状態でした。

唯一の情報源であったラジオも、受信機の調子が元々悪かったこともあり途切れ途切れの放送しか聞けなかった記憶があります。

数少ない情報源だったネットブック

しかし、ここで私が当時持っていたネットブックと3GのポータブルWifiでネットに繋いでみたところ、なんとネットを見ることができました。

後に、震災の時に大きな情報源として評価されたTwitterには接続ができたものの、回線の遅さもあってかツイートが少しできるような状態でしかありませんでした。(ここで少しだけ東京などに住む友人とコンタクトを取ることができました)

ですが、次に目にしたYahoo!のトップページ(リンク先はWayBack Machineの3.11夜のYahoo!のトップページ)は以下のようなとんでもない記事タイトルばかりが並んでおり、この時初めて、周りで起きているとんでもない状況を把握することになりました。

・福島第1 制御室で放射線千倍
・沿岸すべて津波警報か注意報
・死者・行方不明者1000人超に
・東北・関東で700万世帯停電

あとはもう寝るしかない

この後、時間にして20:00頃、やることも特に無くそれぞれの部屋で眠りにつきました。
(父は会社に泊まったためこの日は帰らず)

3月の仙台の夜はまだまだ寒い時期で、普段は電気毛布で暖めてから寝るのですが、それを差し引いてもこの日はやけに寒かった記憶があります。

電気というものが無かった時代、人は日の光と共に起きて寝ることが普通だったと聞きますが、この時はまさにそれと同じ状況だったと思います。

以上です。

続き: 東日本大震災体験談その3 3/12電気復旧までの道のり

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