闘将、星野仙一監督の心に残る名言

星野仙一監督の引退

先日、今季いっぱいでの楽天イーグルスの監督退任を表明した星野仙一監督ですが、その監督生活は中日ドラゴンズの監督時代を始めとすると実に30年近くの時間を過ごしています。

 

星野仙一監督の楽天時代を見るとあまりイメージが湧かないかもしれませんが、中日ドラゴンズの監督を務めていた時代は「闘将」のイメージがそのまま当てはまるような熱く激しい監督でした。

 

通算16シーズンの監督生活で4回の優勝を含む10回のAクラス入りを決して就任当初から常勝球団とは言えなかったチームを率いて達成したと考えれば名将の一人として今後も語られていくでしょう。

 

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中日監督時代の星野監督

さて、闘将星野仙一監督ですが、このイメージは二度に渡る中日監督時代に定着したものでしょう。

 

現役時代さながらの感情を表にだす激しい様子や選手への鉄拳制裁などがこのイメージの主な理由だと考えられます。

 

また巨人との試合の後に審判を待ち受け、「誰に頼まれた。公平にやれ」との発言をし、もみ合いの末に審判に蹴りを入れるという事件もありました。

 

中日ドラゴンズの監督を退任する際には当時ジャイアンツの監督で同時に退任が決まっていた長嶋茂雄監督から、「辞めたらだめだ。」という旨の電話を受けたこともあるなど、星野監督はそのスタイルから批判も勿論あったでしょうが、野球界に関わる多くの人に必要な人材として認められた存在だったのは疑いようのない事実です。

 

阪神監督時代の星野監督

星野仙一記念館
星野仙一記念館 / yoppy

 

中日を退任後、星野監督は阪神タイガースの監督に就任します。

 

これは、前任の野村監督の推薦もあっての要請をうけた形です。

 

この時のオーナーとの面談の中で、「ここまで低迷したのは、失礼ですがオーナー、全てあなたの責任ですよ」との名言を残しています。

 

仮にも雇われる側の人間がオーナーに対しここまで言える人はそういないのではないでしょうか。

 

また就任当初に後のエースとなる井川を開幕投手に抜擢し終盤に連打を浴びた際にコーチに投手交代を相談されると「勝っとるんや。そのままいけっ」と続投させエースとしての自覚をもたせるための発言も井川の調子をしっかりと把握してのものでした。

 

また骨折あけの赤星に対してはキャンプの時に「赤星は控え」と発言し発奮を促します。

 

実際はレギュラーの構想でしたが負けず嫌いの赤星の性格を考慮しての発言だったなど、各選手やメディアの特徴を掴み利用するなどしています。

 

この事を考えるとほんの小さな記事もしたたかな計算に裏付けされた名言と言えるでしょう。

 

闘将星野仙一監督のイメージとは裏腹にしたたかなメディア利用や名言を残すなど緻密な計算、演技がその監督生活を支えたのだと考えられます。

 

なお、星野監督は靱帯骨化症という病気により、引退へと追い込まれました。

その病気について記事をまとめたので、よろしければご覧ください。

 

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