何度でも見たい!星野仙一物語とは

2015年からの東北楽天の新監督

2015年の東北楽天ゴールデンイーグルスの新監督が2軍監督の大久保氏の内部昇格となり、シーズンがスタートしています。

今回は、2014年まで3年間の間チームを率いた星野仙一監督のこれまでに焦点を当てた記事を書いてみたいと思います。

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星野仙一氏のプロまでの道のり

星野仙一監督は東北楽天ゴールデンイーグルスを日本一に導いた監督として有名ですが、非常にドラマチックな人生を歩んできた野球人でもあります。

星野仙一氏の父親は星野仙一氏が生まれる前になくなっており、母親一人の手で育てられ野球で頭角を現すようになり明治大学まで進学することになりました。
ここで、恩師である島岡吉郎と出会い、後の燃える男や闘将と呼ばれる礎を気付いたのです。

プロ選手時代

1968年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズに一位指名を受けたことから、星野仙一のプロ野球人としてのドラマが始まります。

この際に巨人から一位指名の約束を受けていたにもかかわらず、巨人は「星野が故障持ち」だという情報を手にしたことで一位指名の約束を反故をしたという逸話があり、ここから星野仙一氏の妥当巨人という強いものに立ち向かっていく姿勢が生まれました。

そして、ONを要する全盛期の巨人相手に真っ向勝負を挑み35勝31敗と勝ち越しをすることになり、見事にドラフトでの借りを返すことになったのでした。

監督時代

引退後は解説者を経て1986年に中日の監督に就任しここから、星野仙一氏の監督としての物語が始まります。

監督に就任してからはフロントや選手に対する意識改革に努め、商売っ気の強かったフロントに対しては設備改善や選手の獲得などを次々に要請し金を出させ現場環境を良くし、選手に対しては鉄拳制裁も辞さない熱血指導でチーム力強化に励みました。

そして、監督二年目となる1988年には早くもリーグ優勝を遂げることになり、名監督の名を不動のものにするかと思われましたが、その後は最初の優勝を含め3度の日本シリーズに出場するも全て敗れてしまい短期決戦に弱い監督の印象をもたれることになってしまったのです。

2007年に北京五輪の監督に就任した際にも強力なチームを率いながらもメダルを獲得できず、よりこの印象を強くしてしまいました。

それでも、星野仙一監督の物語は終わることなく2010年には当時弱小チームであった東北楽天ゴールデンイーグルスの監督就任が決まり、そこから二年かけチームの作り直しをし三年目にして弱小チームの東北楽天ゴールデンイーグルスを優勝にまで導いたのです。

短期決戦に弱いというイメージを払拭したい星野仙一でしたが、シリーズは最終戦までもつれることになり「今回も日本一を逃すのではないか」と思われていましたが、試合は危なげない展開で楽天の勝利となり見事に日本一を果たし短期決戦に弱いというイメージを払拭することに成功したのでした。

このように星野仙一という男は非常にドラマチックな物語を持っている、魅力的な人物なのです。

星野仙一監督と楽天イーグルス

いくつかの記事で書いたように、私の実家は仙台市若林区にあり、コボスタ宮城に近い環境にあります。(→コボスタ宮城へのアクセス方法のまとめと周辺の観光スポットについて)

ちょうど東京への転勤のタイミングと重なり、ちょうど優勝のタイミングを仙台で体感するということはできませんでしたが、様々なニュース媒体を通して、星野仙一監督が目立つことにより、チームの状況を分かりやすく知る事ができました。

怒ることも多く昔ながらの監督という印象で、正直、楽天の監督に就任した頃は個人的にはあまり歓迎していなかったのですが、今では星野氏が監督に就任して良かったと思っています。

優勝という土産も置いて行った星野監督。この財産を巧く扱って行けるかが今後の楽天イーグルスにとって大事なのではないでしょうか。

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