仙台市は軍都だった?都市計画による戦後復興と戦災復興記念館について

2015年は終戦からちょうど70年

仙台市内中心部にあり街のシンボルともいえる、青葉通りや定禅寺通りのケヤキ並木。

地下鉄東西線の開通でも争点となったこれら数多くのケヤキですが、いつ頃植えられたものであるかはご存知でしょうか?

太平洋戦争の終結から2015年でちょうど70年。
現在の仙台市内の街並みが作られたのは、戦後復興の都市計画である、戦災復興土地区画整理事業によるものです。

終戦の間際であった1945年7月にあった大空襲により、仙台市の中心部は焼け野原となってしまいましたが、戦災復興土地区画整理事業によって青葉通りや定禅寺通りに並木道が作られたことで、今は市木ともなっているケヤキが植樹されました。

今回は、太平洋戦争後の都市計画による戦後復興や、戦災復興記念館などを取り上げていきます。

なお、最後には太平洋戦争当時の、軍の施設が削られた(隠された)地図が発見されたというニュースを取り上げています。

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戦後復興で変わった仙台の街並み

区画整理された仙台の街

現在では、仙台市の中心部というと、仙台駅から地下鉄勾当台公園駅あたりを指すことが多いですが、特に公園に面する幹線道路である国道4号線は、非常に幅が広いのが特徴です。

これは、戦後の都市計画によってこの道路も幅が広げられたり、また周囲の道路は新しく作られたりといった感じで、将来的に見ても不便さを感じさせないほどしっかりとした道路が整備されたためです。

このように、当時としては広すぎるほどの幅を備えた道路を整備したことは、広すぎるのではないかと疑問視する声もあったそうです。

しかし、当時の復興計画では、将来の発展も見込んで、あえて当時としては広すぎるほどの道路を整備することになりました。

現在の日本では、大都市であっても、道が狭く、移動に支障をきたす程の地域も多いようです。
そのようななかで、東北という地に、このような立派な幹線道路を整備したということは、現在でも十分に評価できることといえるでしょう。

また、ケヤキは、焼け野原になった時、少しでもこの地に元気を取り戻すために、多くの人たちの思いによって、一本一本植樹されたものでした。
それから、何年もかけて、少しずつ本数が増えていき、現在のような立派なケヤキ並木となりました。

戦災復興記念館と仙台市歴史民俗資料館

仙台市内にある戦争の博物館としての役割は、戦災復興記念館や仙台市歴史民俗資料館といった資料が担っています。

戦災復興記念館の場所は少しわかりにくいですが以下の場所にあり、アクセスとしては市営バス、もしくは12月以降は地下鉄東西線の大町西公園が最寄りとなります。

常設展示に加え年1回の特別展、そして管理人も利用したことがありますが、ホールや会議室といった用途でも使われています。

なお、この戦災復興記念館では戦後の高度経済成長期の写真などが収集・展示されていますが、仙台市歴史民俗資料館には戦時中の資料などが収集されています。

仙台市歴史民俗資料館は榴ケ岡公園内にあり、歴史が非常に長い建物です。

※余談ですが、これらの施設と同じように東日本大震災の記録や資料を収集し展示する施設が、仙台市地下鉄東西線の荒井駅構内にオープンする予定です。(→)

仙台にあった軍事施設

仙台の軍事施設

太平洋戦争中、仙台にはいくつかの軍の施設が存在していました。

榴岡公園近くにあった、旧陸軍歩兵第四連隊の兵舎や仙台陸軍地方幼年学校などの軍関係施設がそれにあたりますが、若林区の霞目飛行場や苦竹の自衛隊駐屯地の前身も軍関係の施設です。

最後になりますが、2015年になって太平洋戦争当時の地図が見つかったというニュースがありましたので、このニュースを紹介し、本記事を終わりたいと思います。

 太平洋戦争のさなかの1943(昭和18)年9月に発行された仙台市の地図が市内で見つかり、関係者らを通して9日、市歴史民俗資料館に寄贈された。当時の市内には第二師団など多数の軍関係施設があったが機密事項扱いとされ、地図上では存在が消されている。戦後70年の節目に「軍都仙台」の一断面があらためて浮かび上がった。

 東京の盛文館書店が出した「仙台市地圖(ず)」で、発行日は43年9月20日。広げた新聞紙大で、仙台の中心部のほか六郷、西多賀といった周辺地域を網羅している。

 戦時中、仙台にあった陸軍第二師団、歩兵第四連隊、造兵廠(しょう)など重要施設の記載は全くなく、地名のみや畑の印が記されている。

 地図は市歴史民俗資料館にも収蔵されておらず、戦後70年間の歳月の中で埋もれていた。資料館によると、戦時中の地図自体が今は珍しいという。

 地図は6月に市内であった古本市で古本関係者が気付き、仲間に託して資料館に寄贈した。資料館の佐藤雅也学芸室長は「仙台の中心部以外まで載せている点でも資料的価値がある。企画展や資料集を通して紹介していきたい」と話した。

引用元: <戦後70年>「軍都仙台」ひた隠し? (河北新報 Online News)

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