開業から90年、仙台市電が街に残した面影

仙台市電の発展から廃止まで

市電のある都市は、どこかレトロでほっとさせてくれる景観を持っているような気がして、街全体の時間の流れがゆったりと感じられるような安心感と心地良さがあります。

今回取り上げる仙台市電が東北地方における産業経済の中心を成していたのは、今から90年ほど前のことです。

1926年に仙台の発展と共に路線も徐々に拡大されていき、仙台市民の重要な足として活躍していました。

最盛期には1日の乗客数が10万人という時代もあり、人々の暮らしを支えていましたが、高度成長期に入り自家用車の普及が増え、車社会が到来するようになると、仙台市電はバスや自動車の渋滞を引き起こす原因にもなり、時代の流れと共に交通変化に応じて、1976年に幕を閉じることとなりました。

この辺りは、2015年の地下鉄東西線の開通によって、バスからの交通網切り替えを進めた近年の状況と少し似ている気がしており「仙台市地下鉄は仙台市電の流れを汲んでいる」ともいえると思います。

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仙台市電の路線と復興について

仙台市電の歴史とは

仙台市電の開業当時は、仙台駅から荒町を結ぶ路線と、大手町を結ぶ路線の2路線だけでしたが、程なくして県庁前や東北大学病院前などの主要な箇所だけでなく、芭蕉の杜を結ぶようになると、用事を済ませるだけでなく、ちょっと気分転換に立ち寄れる場所もできたことから、繁華街的なイメージも定着していきました。

その後は長町方面へ延長し、秋保電鉄とも接続。なお、この長町線は愛宕橋〜河原町〜長町と、現在の地下鉄南北線の仙台以南と同じような路線となっていました。(→馬車が始まり?長町と秋保温泉を結んだ秋保電鉄の歴史)

仙台市電はますます拡大していきましたが、1945年辺りは戦後の復興と路線の充実という課題があり、苦しい時代もありました。

焼け野原になった仙台の街に市電を走らせることは市民の悲願でもあり、希望でもありました。

現在のように資材の確保も運搬も簡単ではなかった時代に、1ヶ月ほどで復旧した仙台市電には、宮城県民のみならず、東北や全国の人々を驚かせる結果にもなり、大いなる希望をもたらしました。

現在もまだまだ市電に愛着を持っている人々も多く、市電の時代へタイムスリップできるイベントやお祭りで賑わいを見せています。

富沢の仙台市電保存館資料館について

富沢の仙台市地下鉄南北線の車庫近くにある仙台市電保存館資料館には、当時実際に走っていた本物の車両が展示されている他、全盛期の面影を伝える停留所の看板や乗車券、運転士の腕章や帽子など、市電に関する様々な資料や写真が公開されており、自由に見ることができます。

希望者には管理人から当時の珍しいエピソードや、あまり知られていない興味ある話なども聞くことができ、市電の記憶のない若い世代の人々も興味を持って聞き入っている姿も多く見られます。

来館者は年間1万人にも上り、幅広い世代の人たちが訪れます。仙台市電は今も市民の心の中で走り続けているのかも知れません。

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