商売繁盛で愛される、仙台四郎の生涯

仙台四郎の認知度は高い?

今回の記事のテーマは仙台四郎についてです。

仙台人ならお馴染みという話は良く聞くのですが、なんとなく見たことのあるなというくらいで、仙台四郎の生涯や福の神と呼ばれる所以(ゆえん)について等は知らない方も多いのではないでしょうか。

そんなわけで今回は仙台四郎の生涯や福の神と呼ばれる所以などについて記事を書いていきます。

 

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仙台四郎が福の神と呼ばれる所以

仙台四郎は、江戸時代の末期から明治時代にかけて実在した人物です。本名は芳賀四郎と言い仙台市の鉄砲鍛冶職人の家の四男として生まれでした。

知的障害をもっており、話すことはほとんどできない状態でしたが、仙台四郎が訪れるお店は繁盛すると話題になります。

そして、各地でもてなされるようになり、それが故に没後においても、商売繁盛の福の神として崇められています。

 

仙台四郎が知的障害になった経緯は諸説あり、生まれつき知的障害だったという説もありますし、子どものころに川に転落して意識不明になりそのために知的障害になったという説もあります。

言葉は、一言二言しか喋ることができなかったようですが、四郎は、気ままに街の中を歩きまわるようになり、そして、行く先で食べ物などを貰っていました。

温和であり、愛嬌のある見た目をしていたために、だいたいの人には好かれた、と言われており、お店からも不思議な力を持つとして、無料でもてなされたようです。
※実際は家の者が後で支払っていたようですが

なお、たまに陰口をいう人もいるようでしたが、四郎が訪れる店が次第に繁盛していき、福の神を呼ばれるようになっていきました。

 

仙台四郎は、子どもが大好きで、そしてとても素直な性格だったといいます。素直なゆえに、気に入らない店に誘われても行かなかったようです。

また、鉄道も自由に利用し、宮城県内にとどまらず遠くの地にまで足を運んだといいます。

 

仙台のお店で飾られる仙台四郎の写真

仙台四郎は、47歳のときに亡くなりました。

なぜ亡くなったのかは不明のままですが、川で溺れたという説や突然姿を消したという説があります。

 

その後、明治時代から、四郎の写真が大量に焼き増しされて売られるようになり、大正に入ってから四郎は仙台四郎と呼ばれるようになり、この写真を飾っておくことで、商売繁盛の効果がある、とも言われるようになりました。

以下が、その写真になります。

 

 

ちなみに、江戸時代から仙台は、商売繁盛を願って様々な風習が存在していましたが、高度経済成長期には、手間がかかる風習は行われなくなっていきました。

しかしこの高度経済成長期において、再び仙台四郎のブームが起こり写真などが飾られるようになりました。(写真は店内に場所をとらないで自由に配置できるため)

今でも、仙台のお店では、神棚やレジの脇など色々な場所に、仙台四郎の写真や置物などがあり、テレビCMでもその姿を見ることができます。

 

 

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