ここまで変わる?立川の再開発のこれまでの歴史

立川駅からIKEAへの人の流れ

自転車で、立川通りを経由してファーレ立川脇の道路を北へ進む。

もしくは徒歩で、多摩モノレール立川北駅のあるペデストリアンデッキから、2016年12月の移転新築に向けて建設が進む立川相互病院の脇を抜けて北へ向かう。

すると、オープンから約1周年が経過したIKEA立川に向かう人の波が、だんだんと増えていくことが分かります。

 

ご存じの通り、安価なうえデザイン性も人気の高い家具販売店である「IKEA」は都内では初めての出店とあり、連日人気の立川の新名所となっています。

家具店の出店には広い店舗面積が必要となりますが、1977年のアメリカ空軍立川基地の返還後、この跡地を中心とした再開発によって都内における貴重かつ広大なスペースが確保できることとなり、現在多くの企業がこの土地の再開発に注目しているようです。

私自身も、立川近辺に長く住む知り合いから「立川は再開発によって昔とかなり変わった」と聞いていますが、今回は立川で再開発が行われることとなった経緯や歴史について記事を書いていきます。

 

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立川の再開発の歴史

立川の再開発は米軍基地と共に
 
歴史をさかのぼると、立川の開発は太平洋戦争の前後から始まっており、昭和22年には、まず立川駅南口に伊勢丹が開業しました。(後に北口に移転)

鉄道に関しては、1889年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が新宿駅ー立川駅間で開業。その後も、中武デパート(現在のフロム中武)や高島屋などがオープンし、北口駅前は大きく商業的な発展を遂げました。

 

太平洋戦争での日本の敗北とともに立川の一部が米軍駐在基地となったことで、一時期は米軍相手の商売が行われていたようですが、それも昭和50年代に入って駐在基地が日本に全土返還の運びとなりました。

この基地が日本領土となったことで、立川駅の改良が着手され始め、駅ビルの建設や南口への自由通路が開設されたことで、南北のアクセスが容易となりました。

こうして、『ターミナル駅』である機能が補充されていったのです。

 

さらに、これが大きいと言われていますが、平成10年になり多摩モノレールも開業。

もとより、JR線開通のため東西の移動には強かったのですが、南北方面に行くには電車やバスの利用が必要とされる「交通難民」が問題点とされていました。

それがこの多摩モノレールによってその問題が解決され、ヒトとモノの流通がよくなり、多摩モノレールの各駅は商業施設であるIKEAや2015年秋に開業が予定されているららぽーと立川立飛の最寄り駅にもなっています。

 

 

この多摩モノレールの路線がほぼ多摩の中央付近に所在していることで、拠点都市と定めるメリットが高まったといえます。

その後も多摩地区のコアシティとして進化を始め、ほかにも平成13年にビックカメラやパークアベニューが出店し、伊勢丹も駅前に移転となりました。

 

 

広大なスペースと路線の利便性

多摩モノレールによる南北交通の利便性

 
さて、2015年は多摩モノレールの開業から15周年の年となりますが、今後も町田方面などへの延伸が予定されつつあるこの路線が、立川の再開発において今後も大きな要因を握っているように思われます。

中央線を使って都心へ、南武線を使って同じく再開発が進み発展している川崎へ、青梅線を使って都内でありながら自然あふれる日帰り旅行へ。そして、多摩モノレールで住居や大学が密集する多摩地域の南北へ。

さまざまな「衣」「食」「住」がそろうこの土地はこれからも進化していくと思われ、この路線の利便性と広大なスペースによる伸びしろがあることが立川へ注目が集まっている大きな理由だと思います。

 

なお、広大なスペースという意味での共通点として、私は高架化したJRの路線を挙げたいと思っています。

JRの土地であることにより、今後の開発はJRの商業施設がメインに行われると思いますが、各地で新しく開業するnonowaには個人的にも注目しています。(→4月18日にオープン!nonowa 国立 EASTの店舗の特徴について)

 

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